Yellow Stallion Alcoのダンスの日々
皆さん今日は(^^)v
季節にも秋の彩が深まり、毎日心地良く過ごせる日が続きます。
秋と言えば人恋しくなる時期ですね(――)
個人的なお話になりますが、私は今年で40歳を迎えようとしています。
私の40年間に置いて一番輝いていた出来事を今回つぶやかせていただきます(^0^)
それは私がまだ18歳の頃、大阪りんくうタウンに西日本最大のClub Link Jugglin cityがOpenしました。

初めてそこを訪れた時、「ここは何だ!!!」と衝撃にみまわれました!!!
体育館のような広いクラブに大きなスピーカー、広い空間に体に響く音の振動!?本当に感動しました。
その当時あまり馴染のないレゲエミュージックが流れており、仲間と一緒に通うなか見よう見まねでダンスを踊ったりしていました。
やがてそこのクラブでも沢山の友達が増えて可愛い女の子もいて★とても楽しい場所だと思いました。
その中にも真剣にダンスをしている友達がいて、何年か通う内に「一緒にダンスショーにでえへん?」と声を掛けてくれたのがStallionでした(レゲエのダンスショーって?)
当時はまだ女性グループが日本で数組レゲエダンスをするくらいでまだまだ浸透していませんでした。
これが運命の出会い!!!私をショーに誘ってくれたStallion氏は日本では珍しいレゲエの男性ダンサーでした。
私も彼に感化され友人3人とYellow Stallionと言う日本人初の男性のレゲエダンスチームを立ち上げることになりました。

当時ネットや情報共有の場があまりないため、VHSビデオテープを通販でジャマイカから購入して、レゲエダンスの研究を重ねました。
その当時レゲエダンスとは腰を振ったりするイメージがあると思われますが、これがなかなか奥深く曲調も歌の意味に合わせた表現をしなくてはなくて、ジャマイカ英語を日本語訳に変換したりしていました。
仕事が終わり帰って寝る間も惜しんで朝方までダンス練習したり、体は疲労を感じていましたがとても充実した毎日を送っていました。
その後、初のイベントを迎える事が出来て何ともいえない高揚感と気持ちの良さとがありました。
私の性格上人前に出るのは苦手なのですが、この時の気持ちは今でも覚えています。
そこからは日本人初の男性レゲエダンスチームとして色々なClubからのオファーがあり、東京・名古屋・大阪・金沢と各地のイベントに参加し、またある大物シンガーのバックダンサーにも抜擢され北海道・沖縄のビックイベントのも参加させてもらいました〈0^^p~
各地で踊れる事がとても楽しくまた様々な出会いもありました。
とてもいい思い出です(^^=)
三人チームで踊りに踊った20代レゲエダンスに心から充実した毎日でした。

30代になる頃リーダーのStallionが「アメリカで服のデザインがしたい」と新たな夢と目標を持ち、3人でのダンスチームは休業し、それぞれ違う道を歩むことになりました。
私は単独でレゲエのイベントの企画し開催したり、レゲエダンススクール開き、生徒にダンスを教えていました。
自分が踊れることも、生徒が練習を重ねステージの上で上達して行く様は自分のことの様に嬉しかったです。
それを二年間続けた後、私自身ダンスを休業することにしました・・・。
長い月日を経て昨年よりレゲエダンスを再開することができました。


ブランクはあったものの久しぶりのイベントにコラボで出演する事になりました。
やはり、年齢には勝てないもので当時より体力的に大変でしたが、久しぶりのステージは気分高揚、最高に気持ちよかったです(0¥^^)
中学時代の友達も観に来てくれたり本当にいい思い出です。。。

友達が大正のMと言うClubを経営していて、今年12月に40歳になる私のバースデーイベントを開いてくれる事になり、メインで踊らせてもらえる事になりました<(^0oooooo
皆さん興味のある方よろしければお越し下さい(・3・)
長文にお付き合い頂きありがとうございました。。。。。
季節にも秋の彩が深まり、毎日心地良く過ごせる日が続きます。
秋と言えば人恋しくなる時期ですね(――)
個人的なお話になりますが、私は今年で40歳を迎えようとしています。
私の40年間に置いて一番輝いていた出来事を今回つぶやかせていただきます(^0^)
それは私がまだ18歳の頃、大阪りんくうタウンに西日本最大のClub Link Jugglin cityがOpenしました。

初めてそこを訪れた時、「ここは何だ!!!」と衝撃にみまわれました!!!
体育館のような広いクラブに大きなスピーカー、広い空間に体に響く音の振動!?本当に感動しました。
その当時あまり馴染のないレゲエミュージックが流れており、仲間と一緒に通うなか見よう見まねでダンスを踊ったりしていました。
やがてそこのクラブでも沢山の友達が増えて可愛い女の子もいて★とても楽しい場所だと思いました。
その中にも真剣にダンスをしている友達がいて、何年か通う内に「一緒にダンスショーにでえへん?」と声を掛けてくれたのがStallionでした(レゲエのダンスショーって?)
当時はまだ女性グループが日本で数組レゲエダンスをするくらいでまだまだ浸透していませんでした。
これが運命の出会い!!!私をショーに誘ってくれたStallion氏は日本では珍しいレゲエの男性ダンサーでした。
私も彼に感化され友人3人とYellow Stallionと言う日本人初の男性のレゲエダンスチームを立ち上げることになりました。

当時ネットや情報共有の場があまりないため、VHSビデオテープを通販でジャマイカから購入して、レゲエダンスの研究を重ねました。
その当時レゲエダンスとは腰を振ったりするイメージがあると思われますが、これがなかなか奥深く曲調も歌の意味に合わせた表現をしなくてはなくて、ジャマイカ英語を日本語訳に変換したりしていました。
仕事が終わり帰って寝る間も惜しんで朝方までダンス練習したり、体は疲労を感じていましたがとても充実した毎日を送っていました。
その後、初のイベントを迎える事が出来て何ともいえない高揚感と気持ちの良さとがありました。
私の性格上人前に出るのは苦手なのですが、この時の気持ちは今でも覚えています。
そこからは日本人初の男性レゲエダンスチームとして色々なClubからのオファーがあり、東京・名古屋・大阪・金沢と各地のイベントに参加し、またある大物シンガーのバックダンサーにも抜擢され北海道・沖縄のビックイベントのも参加させてもらいました〈0^^p~
各地で踊れる事がとても楽しくまた様々な出会いもありました。
とてもいい思い出です(^^=)
三人チームで踊りに踊った20代レゲエダンスに心から充実した毎日でした。

30代になる頃リーダーのStallionが「アメリカで服のデザインがしたい」と新たな夢と目標を持ち、3人でのダンスチームは休業し、それぞれ違う道を歩むことになりました。
私は単独でレゲエのイベントの企画し開催したり、レゲエダンススクール開き、生徒にダンスを教えていました。
自分が踊れることも、生徒が練習を重ねステージの上で上達して行く様は自分のことの様に嬉しかったです。
それを二年間続けた後、私自身ダンスを休業することにしました・・・。
長い月日を経て昨年よりレゲエダンスを再開することができました。


ブランクはあったものの久しぶりのイベントにコラボで出演する事になりました。
やはり、年齢には勝てないもので当時より体力的に大変でしたが、久しぶりのステージは気分高揚、最高に気持ちよかったです(0¥^^)
中学時代の友達も観に来てくれたり本当にいい思い出です。。。

友達が大正のMと言うClubを経営していて、今年12月に40歳になる私のバースデーイベントを開いてくれる事になり、メインで踊らせてもらえる事になりました<(^0oooooo
皆さん興味のある方よろしければお越し下さい(・3・)
長文にお付き合い頂きありがとうございました。。。。。
2-1病棟
更新日:2015年10月30日